第5回「自分が社会に通用するかもと試してみた」/社会不適応の自分が適応してきたこと
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社会不適応の自分が適応してきたことの5回目になります。
「自分が社会に通用するかもと試してみた」です。
これまでも第1回からいろいろ暴露ではなく、吐露してきました。
私のキーワードは
「気にしい・神経質・自意識過剰・人見知り・M気質・消極的・人が苦手」とよくもまあこれだけマイナスを完璧に近く装備できたものですね。
そういえば最近、年齢を重ねたせいか「頑固・わがまま」が出てきているらしく、よく飲みに行く親しい人からも言われます。
このようなマイナスの宝庫で社会不適応な私でも
「挑戦!・チャレンジ!」
というものをしたくなったのです。
これは社会に出て”仕事”というものを経験し少しは成長したのだと思いますが、自分の中で、また、面倒な”こだわり”が残っていたからでもあるのです。
”こだわり”とは高校生の進路を決める頃から考えていた
「自分が本当にやりたいこと、目指したいこと」
を見つけられていないということです。
会社で仕事をしてみて「知識を習得したり」「業務を改善したり」「生産性をよくしたり」「部署を任されたり」など経験しましたが、
「それはお前がやりたいことなのか?」
と自分に問うとやはり違うと自分が答えるのです。また、面倒くさい自分が出てくるのです。
自分がやりたいものをやっと見つけたという訳でもありませんでした。
また、自分はこの会社で一緒に中途入社した年下の女子社員よりも給料が安く、昇給時期でもないのに給与が急に高くなったりしたのでこの会社の社長が嫌いで不信感をもっていました。
辞められると困る状況になってから辞めようと変な動機でがんばっていて、やっとその状況になったタイミングでもありました。
短大の頃に3人でバンド組んで「本気でミュージシャンになろう!」と思ったような、ワクワクするようなこともありませんでした。
(こんな社会不適応な自分がミュージシャンなんて今考えると笑えます)
ただ、1つだけ心にあったのは
「これまでパッ!としない自分の20年程度の人生だったけど、社会では自分は通用するかも?だからもっと社会での自分の実力を試してみたいかも?」
という根拠のない安易な考えでした。
そして、「こんな社長の会社なんかにずっといる訳ないだろう!」と辞めてしまいました。
初めて勤務したこの会社が勤続3年、次の会社も勤続3年弱でした。
このような3年程度で辞める人間は
「仕事を続けられない、職場に飽きやすい、我慢ができないだめな奴」
と私の田舎なら噂されてしまいます。
そして、東京に18歳から出て来て8年程経過して26歳です。いい大人です。た
当時は彼女もできなくて、結婚もできないどうしようもない奴と自分のことを思っていて、もう東京はやめて地元の方に帰ろうと思い立ちました。
結局は逃げるようにも感じたのですが「また、1からはじめればいいか」と考えました。
そして、岩手の実家のある街は仕事があまりないので少しでも近くと思い「仙台」と「盛岡」の地方の小都市の求人誌を毎週取り寄せて、新幹線に乗って面接に行きました。
そこで、自分が17年も勤務することになる東証一部上場企業に採用してもらいました。
自分もその会社に決めたのはこれまでとは業界が全く違うので「上場してるからの理由だけでした。」
田舎の人は上場企業に勤めてると聞くと驚き褒められるのです。だから、親も喜んでくれたり、自慢できるかな?というどうしようもない理由です。
実家に帰ったときに親父は私の入社した会社の株価を新聞で探して見つけられなくて、どこに掲載しているか聞かれたこともありました。
親戚の中では「上場企業に勤めているのは2人しかいないんだぞ」と喜んでくれていました。
「もうこの会社辞められないよ~!辞めても言わなければいいか!」と少しぞ~っとしながら、いつでも逃げることも考えていました。
自分が通用するかどうかの不安はありましたが、やはり、これまでの中小零細企業とは違っていました。
中小企業では資料作成や会議とかなかったので、ビジネスマンになったようで最初は楽しかったのですが、やはり厳しくもありました。
それでも続けられたのは、独裁社長のような不道徳なことがなかったからです。
正しい意見は平社員の意見でも認めてくれて、直属の上司もその上の部長も正しいことは一緒になって動いてくれたことです。
中小企業しか知らないかったので「会社は経営者の独裁的なものだ!」と思っていましたが、このような会社と出会いで「民主的な会社最高!」と感じました。
この会社で長く勤務できたのは
「沈没しない船で大海原に出ていくことができる!」
かのように感じたからです。
自分にできるかできないかわからないことでも「挑戦・チャレンジ」させてくれて失敗しても尊重してくれるし、上司が責任もとってくれる風土で「挑戦・チャレンジ」しなければ怒られる風土でもありました。
厳しかったのですが、納得感がありました。
こんなどうしようもない私でも転職を繰返し、もがいていたら、生きていける場所と出会えたのです。
残念ながら「自分がこの仕事がやりたい!」と最初から志したのではなく、
たまたま出会った職場で「自分が通用するかも?と試して出会った職場」でしたが、それが将来の自分をもっと成長させてくれることにつながりました。
「やはり自ら動くこと、行動することは大切です。」
それで人生が変わったのだろうと思います。