社会不適応な自分って良いことだと思えた。
この社会不適応な自分を表現するまでは、社会で経験してきた正しいと思うことを自慢するかのように書いてたと感じるようになりました。
それはそれで偽りでも体裁でもなく自分が感じた本音ではあるのですが、
◆正義なこと
◆優秀に思われるなこと
◆関心してもらえること
◆斬新と思われること
などの秀でていることをアウトプットしないといけないと勝手に思っていました。
他の人のブログを見るたびに、「頭脳の高い表現をされているな~」とうらやましく感じ同じようにしなければといつもの自意識過剰のプレッシャーを自分にあびせ、自分の国語力の低さや表現力の狭さをコンプレックスに感じていました。
書いては保存せずに終わらせたことも何度もありました。
今年の元旦から数日アップできなかったのは、このコンプレックスが原因です。
そして、再開しても
「自分の表現力は上達しないなぁ~?伸びしろないなぁ~?」
と心に引っ掛かり続けていました。
そして、やっと気づいたのは、
まだまだ自分をつくろって表現していることがあるということです。
これがダメなのです。
心の奥でカッコつけたり、頭良さそうに見せようとしたり、自分を少しでも頭脳明晰に見せようとまだまだ潜在意識が働いているのです。
これは自分が嫌いなことです。
だから、偽りに感じて納得できないのです。
これまでの表現は、
『カッコつけたい』
『大きく見せたい』
『真っ直ぐに見せたい』
これになっているのです。
自分が一番なりたくない、嫌いな自分を潜在的には意識していたのです。
もの凄くしょうもない奴って本気で自分のことを思いました!
私の心は、
『自分に正直に生きたい』
『他人に正直に生きたい』
『逃げずに真っ直ぐに生きたい』
社会不適応な自分でもこれは曲げられないと最低限の目標にしてきました。
これが出来なかった弱さもあり歪んだり、ズレたりしてきたけど自分の心は少しでもこのように正直に真っ直ぐに生きようと心がけてきたのです。
その思いすら、アウトプットしようとすると歪むのはまだまだ「ケツの青い小僧」なんだと思います。
それなりの年齢なのに情けない奴ですが、これが今の自分なのだろうと真っ直ぐに受け止めようと思います。
自分がこれまで心を動かされたものは、仕事でも音楽でも本でもテレビ番組でも自分の本音を真っ直ぐに伝えてもらっているものです。
だから、自分も自分を真っ直ぐに表現してみたいと思ってこのブログにもチャレンジしてみました。
こんなにも自分を表現することが
「自分に真っ直ぐに向き合い」
「自分を見つめなおすこと」
「表現を絞り出さなければいけないこと」
とは思ってもみませんでした。
そして、実際に表現すると
「内面を見せている怖さ」
「誹謗中傷されるのではという怖さ」
「自分をさらけ出すことの漠然とした怖さ」
を感じます。
想定以上に次々といろいろなものと自分が戦うことになっているのですが、最近、やっと超えられそうにも感じてきました。
そして、超えた先にある何かを自分に与えてくれるのではないかと感じれるようになってきました。
久しぶりのめちゃくちゃ前向きです。
そうは言ってもこんな面倒くさいことを本気で悩んでいたりするのですが、
「やっぱり自分は社会不適応だな~!」とポジティブな確信が持てはじめました。
表現はネガティブですけど自分の中では何かを見つけられそうなんです。
だから、
『きっと社会不適応って良いことだぜ!』
バンザ~イ!