社会における「素直」って必要なのかな?
これって他の人にもある感覚なのでしょうか?
私は自分自身のことだと世の中に対して消極的で神経質になる性格です。
例えば、お店で購入したい目的の商品を探していてどこにあるのかを店員さんに聞けなかったり、それが100円ショップなどの安い物なら尚更聞けないのです。
「たった100円の物なのにどこに置いてあるか聞くのは、店員さんに嫌がられるのではないか?」と考えてしまうのです。
このような悩みが本当にいっぱいあります。
スーパーマーケットで値引きシールの貼ってある物を買うのも心が引けます。レジで「50%引きです」などと店員さんに言われるものなら、他の人が聞いているのではないかと気になり、恥ずかしくなって赤面までしたこともありました。
このような感覚を持っているので、昔つきあっていた人に「生理用ナプキンをコンビニで買ってきて」と頼まれたときにはもう死にたい思いにまでなりました。
レジで一生懸命に「頼まれたから買いにきたんです!」と必死に伝えたい思いをこらえているうちに顔が赤くなっていき、今度は赤面した自分を抑えようとする程、どんどん耳の先端まで赤くなっていくのを感じてしまい、普段は目をあわさない店員さんにまで気づかれてしまって、手を震わせながらお金を払って、ダッシュでアパートまで帰ったこともありました。
しかし、就職して会社の仕事として、このようなちょっとした買い物でお店に行くとすぐに店員さんに商品の場所を聞けたり、どのような物でもナプキンでも恥ずかしい思いになることなく買うことができるのです。
そして、「自分は成長したな~!」等と思うのですが、本当の自分が成長した訳ではないのです。
「このような感覚は私だけのものなのだろうか?」と不思議に感じます。
その理由は
「会社という着ぐるみを着ているから...」
「その行動は自分ではなく演じているだけだから...」
「その自分は本当の自分ではないから...」
等と考えても自分でもいまだにはっきりとした理由がわかりません。
なんとなくというか、おもむろにというか、恐らくまではいってないと思うのですが、行動の責任を自分ではなく会社の責任にすりかえることが自分の中でできているからのように思えてきています。
「他人の仮面をかぶればどんなこともできる!」という弱い自分の心理が働いているのだろうと思います。
これこそが「他人のふんどしで相撲をとる」ことなのでしょうね。
このような感覚はこれまで誰とも共有したことはないのですが、誰でも思うことなのでしょうか?
私だけの感覚なのでしょうか?
私はこの感覚を持っていなければ、恐らく社会では通用しない人間のままだったと思います。気が弱かったり、気にしいだったりする自分をこの感覚が全て補って普通の社会人として過ごせました。
私の人生をもっとも守ってくれた盾なのだろうと思うのです。
この盾を長い間使い続けてきたので、この盾までも自分と思い込んでしまうまで使いこなしていました。
そして、気がつくと自分の本当の心というか気持ちを素直に表現できなくなってしまってるのです。
「偽りの自分」「幻想の自分」「盾に守られた自分」が本当の自分を閉じ込めてしまったのだと思います。
そもそも、自分の「本当の心、本当の気持ち」が素直なことなのだろうかとわからなくなってしまいました。
そして、その「本当の心、本当の気持ち」を表現することに社会は認めてくれないのではないかと思うのです。
この答えを見つけるにはまだまだ時間がかかりそうです。