自意識過剰な自分の無駄な時間
私の中で生きていくのに、乗り越えなければいけなかったのが『自意識過剰』なところです。
初めて一人暮らしをした18歳のときにはこの『自意識過剰』に本当に苦労しました。
田舎育ちなので方言が気になり、話すだけでも勇気がいりました。
「田舎者と思われるのではないか?」
「田舎者とばれたらイジメられるじゃないか?」
「田舎者とばれたら自分の後をつけられて住んでる場所が知られるのではないか?」
こんなことまで思っていました。
最低なこともしていました。
満員電車の中のドアの近くに立っているときに自分が降りない駅に停車したとき、一旦、電車から降りて他の人が降りてから乗ればよいのですが、そのような発想がなくて頑なにその場に立ったまま動かず、降りる人の迷惑になっていたこともありました。
この時も「田舎者だと思われて自分が降りない駅なのに都会の人に降ろされそうになっている!」と思って抵抗していました。
本当にいい迷惑です。
この話しをして、今まで一人だけ共感してもらえたことがありました。
こんな話しはまだまだあるのですが、トイレットペーパーを買って、12ロール入りの大きめのものを持って歩いていると人から見られたら「お前はそんなに大をするのか?」と思われるのではないかと考えてしまって、買った帰りに歩きながら恥ずかしさで顔が赤くなっていました。
カフェのチェーン店でコーヒーカップの底に「大吉」と書かれていればコーヒー無料チケットプレゼントというのがあり、ついに「大吉」と書かれたコーヒーカップが初めて当たったのですが、当たりを申し出ると「ケチな人」と思われるのではないかと思いまたまた悩みました。こんな気になるなら当たらない方がよかったのにと思いましたが勇気を出して「これ大吉でたんですけど...」と無事に言えました。
実はこのチケットを使うときにも「本当に使う人がいるんだ、この人ケチだな~」と思われるのではないかと躊躇していましたが、何とか無事使えてほっとしたりしました。
こんなことでいろいろな葛藤があり、本当にひどい自意識過剰だと思います。
このようなことは社会経験を繰り返すことで「何とか普通の人と同じくらいにはなれたかな?」と思うのですが、いまだに勇気を出して買いにいかないといけないものも多少はあるのでまだまだ自意識過剰はなくならないです。
誰も自分のことなど気にしてないのはわかっていて、自分が店員の立場でもそんなこと気にしてる暇なんかないと理解しているのですが、なかなか治らないものです。
こんなことを苦労に思ってしまうのもよくないですね。
「人生の中で無駄な時間を過ごしているのだろうなあ~!」と自分に呆れますが、このような自意識過剰の時には自分のケツを叩くようにして進ませています。