第8回「なぜか人前に出てみたい」/社会不適応の自分が適応してきたこと
社会不適応の自分が適応してきたことの第8回目になります。
最近、自分の内面を出しすぎではないかと漠然と怖さというか恐ろしさを感じます。
何が怖いのかと言われるとよくわからないのですが、ドキドキしながら書いてるのですが、それが、快感というか納得というか心地よさと少しの不安も感じて心の配置をどのようにしたらよいか難しいパズルをしているような気分です。
私の構成要素である
「気にしい・神経質・自意識過剰・M気質」
この4要素が敏感に強く反応しているのだと思われます。
今回、反応していない「人見知り・消極的・人が苦手」はどうにか落ち着いてます。
ところで、このような7つの社会不適応要素を持っている私は、
「なぜか人前に出てみたい」
という思いがあるのです。
社会不適応なのに不思議じゃないですか?
私もこのような自分が不思議なのです。
これまで、人前に出たことと言えば、
◎小学校の剣道の試合で100人くらいの前での試合したこと
◎小学校のクラス委員で40人の前で話したこと
ーー 暗い中学高校短大の頃は何もないです ーー
◎会社の全体の発表会で700人の前で方針を話したこと
◎企業の展示会イベントで100人程の前と150人程の前で2回話したこと
※結婚式のスピーチも1度だけ100人程の前で話しました。
さすがに700人の前で話しているときは途中であがってしまって10秒ほどの無言時間が出てしまいました。
しかし、このような人前に出ることは実は嫌じゃないのです。
どちらかというと人前に出る方が好きなのです。
自分のことではありますが、本当にわがままで、面倒くさい性格だな~とも感じます。
よく何が何でも人前に出ることを嫌がる人っていますが、そのタイプのように見えて実は違うのです。
私のような人種は、
『他人に関心や興味がありすぎるから、他人を意識しすぎて「人見知り」になるのです。』
本来持っている「気にしい・神経質・自意識過剰」は他人がどう思っているかを気にしすぎるから、そのようになってしまうのです。
堂々と言えることではないのに偉そうにすみません。
人前に出るのがとことん嫌がる人っていますよね。
このような人は他人に関心や興味がないので「人見知り」にならないのです 。
勝手な考えですが「自分が大事で他人が嫌いな人」ではないかと思うのです。
そのように考えると同じように生きるにしても今の「社会不適応」がいいじゃないかと思えてきました。
他人を気にして、神経質になって、自意識過剰な自分と戦って生きてしまっているのですが、他人が嫌いで自分のために生きるよりはこの方が良いと感じてきました。
そして、人前にも出たがって、あがってしまっても人として良いようにも思います。
不器用ですけど、このようにしか生きていけない自分でいいんだとこれを書きながら思えるようになってきました。
あらためて、そんな生き方だったのだと認識できました。
だから、サラリーマンでも課長、部長止まりだったのです。
やっぱり人のために生きていきたいな~としみじみ感じました。