『出過ぎた杭は打たれない』の出過ぎた杭になってみたい
以前に勤めていた会社でのことです。
その会社の社長が年に1度の方針発表を150名程の社員の前で行うのですが、その説明の序盤で、
「将来社長になりたいと思っている人は手を上げなさい!」
と言ってきました。
私は「序盤から嫌なこと聞くな~!」と思いながらも、
「ところで自分は本当にそのような話しが自分にきたら社長になりたいのか?」と自分に問いかけてみると
「まあ~頼まれたらやるかも?」
という程度でした。
数十秒後に社長から、
「遠慮せず、躊躇せず、手を上げなさい!」
周りを見ると真っ先に手を上げる人が数名で他は難しそうな表情でゆっくりと手が上がりはじめました。
「これは上げなきゃいけない忖度ってやつか?」
と思いながら、「それなら自分は手をあげない。」と決め、見ていると全体の30%程度は忖度で上げている感じでした。
手を上げない奴はダメな奴的な雰囲気が蔓延してきて、自分が手を上げていないことを誰かチェックしてるのかと気になり出しました。
この時に後ろの席にこの会場を設営した人事部の社員が並んでいたので、「手を上げていない社員をチェックしてたらどうしよう?」とまたまたいつものようについネガティブに考えてしまいました。
社長は冒頭のこの質問で方針発表を聞く私たちの気持ちを引き付けることが狙いだったようですが、その後の雰囲気は忖度があったためか、人事部のチェックがあったかないかわかりませんが、確実に微妙な空気になりました。
その後、方針の説明が開始され、説明の後に今度は、
『出る杭は打たれる』という言葉を知ってると思うが、先ほど社長になりたいと手を上げた社員は『出る杭は打たれるかもしれないが、それでも徹底して出なさい!杭が出きってしまったら、打たれても引っ込まなくなる!』だから、出きるまでがんばってほしい。
これを伝えたかったようでした。
気になったので後で調べてわかったのですが、松下幸之助氏の
「出過ぎた杭は打たれない」
という言葉を私たちに伝えたかったようです。
その言葉を少し時間が経過して、ふとあらためて思い出し、
「自分は”出過ぎた杭”にはなれない性格だよな~」と感じたのです。
私は、
「自分にプラスになることは少しだけ出ていたい杭」
「自分にマイナスになる可能性のあることは周りにあわせて少しも出ることも引っ込むこともしない杭」
になるように自分で調整ばかりしてきた人間です。
簡単に表現すると「ちょっと人よりは目立ちたいけど、都合悪くなるとみんなと一緒」と主張する小学生のようです。
そのように平均的に生きていくことが正しいと思って生きてきたので、あらためて自分の普通さというか平凡さを感じたりしました。
それでも、自分の課題として少しは出る杭になろうとその会社の会議で提案してみたりとがんばってみたりするのですが、やはり無理にやっているからか、その私の心の杭はちょっと打たれるとすぐに引っ込んでしまいます。
『本物の出過ぎる杭』になろうという思いが足りないのだろうと思うのです。
社会でやっていくのに必要なことだと理解はして自分もそのようになってみたいと思うのですが...私にとっては結構ハードルが高いことです。
せっかく目標に持ったことなので、時間がかかっても、
いつか『出過ぎる杭』に一度でいいのでなってみたいと思っています。