第3回「生きる意味の悩み」/社会不適応の自分が適応してきたこと
社会不適応の自分が適応してきたことの第3回目になります。
2回目は初めてのアルバイトを辞めたことで「仕事」に対して自信をなくし、「なぜ仕事をやらなければいけないのか?」とまで考えしまい、結局、自分が周りの人や生活に追い込まれて、社員になって、これまで余計なことばかり考えていたことに気づいたというお話しです。
いつもこんな風に余計な道も気になって歩いてみたくなるのです。小学生の下校途中のように水たまりや縁石の上も必要もないのに歩いてみてしまうのです。臆病な性格が余計な経験まで無駄にしてるのだろうと思うのです。
だから、この言葉、
『人生には「考えるべきこと」と「考えなくていいこと」がある。考えなくてもよいものを捨てるのが生きる知恵だ』
余計なことまで考えないようにこの言葉を思い出し、自分をコントロールしてきました。
やってみると自分の不安な心もコントロールできるようになっていきます。時間は少しかかりますけど...
この後にもまた余計な悩みがはじまりました。
「生きる意味」の悩みです。
「正社員として仕事をする」という目標が達成し、仕事はまじめに取り組みはじめたのですが、このように働き続けることがこれから40年続くと考えると「ぞ~っ!」としてきました。
そして、実家の両親を思い浮かべました。
「自分が自立したのに親父はいまだに働いてる!」
「お袋も土日も休まず田舎の食堂を一人でがんばってる!」
「本当に凄いな~!」
でも、両親の背中から滲み出るものは「生活のために働かないといけない」というあまり夢のないメッセージに見えました。
人間生まれたからにはとにかく働かないとと目的や理由の見えないまま働いているように感じていました。
こんなことを思ってて
「父ちゃん、母ちゃん、ごめんなさい!」
「育ててくれて、遠くにいても見守ってくれて、ありがとう!」
と今も本当に感謝してます。
このようにこれから先もずっと働き続けることに夢を持てず、そもそも
「なぜ生きないといけないのか?」
と思いはじめたのです。
「自分は何のために生まれて、これから何十年も働いて、仕事で嫌なことがあっても我慢して、ずっと我慢をし続けることが生きること?」
と疑問が膨らんでいきました。
テレビを見てる時に今は亡くなられましたが俳優の丹波哲郎さんがあんな凄い俳優なのに「霊界や生きる意味」について語っていて、見入ってしまいました。
うる覚えですが、語られてたのは人間は死んだら魂が天国に行って、安らかな生活を送ることができる。神様が「また人間界に行って修行してきなさい」と言われ人間としてまた生まれてくる、だから人間は修行するために生きている。
修行だと思って暮らしていきなさい、そうすれば、その苦労も天国に行って報われるというようなお話しでした。
また、両親を思い出しました。
「2人ともこのようなことを知ってて信じて仕事してるのかな?」と聞いてみたくなりました。
そして、実家に帰省したときに聞いてみたのです。
『人間というのは、人生を重ねるほどに「罪をつくって生きているもの」、いろんな人に迷惑をかけないようにしようと思うけど、誤解されたり、疑われたりといくら真面目にしても生きてるだけで他人に罪を重ねることになる』
そして「罪はつくりたくないけど生きることは人に迷惑をかける、罪をつくり続けること」と特に母親は嘆いてました。
そんなに「ネガティヴに捉えなくていいのに?」と思いながらも何か少しわかった気がしました。
◎自分がアルバイトを突然辞めたこともお店のオーナーに罪を作ったこと
◎自分が仕事をしたくないと悩んだことも彼女に罪を作ったこと
◎とりあえずそれほどやる気もないのに進学させてもらったことも両親に罪を作ったこと
このようなことなんだと自分は浅い考えなんだと気づきました。
自分は一人で生きているつもりでしたが、このように人に迷惑をかけて生き続けている。そして自分に都合のよいところだけをつまんで自分を正当化しているだけなんだと気づかされました。
親はそんなところまで深く考えて、正しく正しく生きようとしているのだと初めて知りました。
都会に出て、いろんなことが理論的だったり、効率的だったり、頭良さそうにすることが賞賛されるけど、それだけが真実ではないと思えてきました。
もっといろんな角度で物事を深く考える必要があるのだと思えました。
そして、これまで悩んでいた「生きる意味や目的」というのはない!
「生きる意味や目的」を見つけるために生きていくのではないか?と思えてきました。
だから、
「人に罪を作らない生き方」
「人のためになる生き方」
それを探し続けることが「生きる意味や目的」なのではないか?と思えたのです。
そのように考えたら、今を生きることを大切にしなければと思えました。
何ともうまく伝えられてるか自信はありませんが、
「今、悩んでいる、迷っている、答えがみつからない」
「今、嫌な思いをしている、楽しい思いをしている」
「今、何もしていないから、今、何かしよう」
こんなことも「生きる意味、目的」に近づくためのことなんだと思えたのです。
少し俯瞰して考えてみると結局はこれも考え過ぎなのかもしれませんし、人によっては悩む必要もないことなのだと思います。
でも、深く考えることや深い考えは大切なことなのだと思います。
そして、苦しいときや悩んだときにはセットで「生きる意味」も考えてしまいます。
それは、今の苦しい自分から逃げたいときに掘り起こす言い訳に自分が利用しているだけというのが本音だと思います。
またまた、気弱な情けない悩みなんだろうと思います。