(番外編)「猫を飼ってみた😊」/社会不適応の自分が動物に適応してきたこと
「社会不適応の自分が適応してきたこと」を第3回まで書いたのですが、ちょっと正直に自分を出すのは以外と体力が必要で疲れたので、今日は一休みさせてください😂
そこで、子供の頃から動物が苦手で「社会不適応の自分が動物に適応してきたこと」をご紹介させていただきます。
私は子供の頃から動物が大嫌いでした。
今と違って、野良犬が小学校の校庭に現れることもあり、遊んでいて追いかけられ嚙まれるのが怖くて怖くていつも校舎に避難していました。
いなくなったと思ったら、下校時間にまた現れたときには、校舎に戻っていなくなるのを待っていました。
登下校は一人が好きだったので、校舎で一人で結構待たされたこともありました。
なぜ動物が嫌いかというと神経質な性格だからです。
「犬の犬歯が自分の体に触れること」や「犬の唾液が自分の服に付いてしまうこと」を想像するといくら小さいおとなしい犬や猫でもとにかく嫌でした。
「潔癖」に近かったのかもしれません。
昔は固いものは母親が噛んで自分に噛んだものをくれたりしていました。それも物心がつくと嫌で断っていました。
はじめて動物園で一度は見てみたかった「キリン」を見た時には、キリンの唾液があまりにも量が多くて、一番見たいとあんなにも言っていたのに引いてしまいました。
動物とは関係ありませんが、子供の頃は料理が1枚の皿にハンバーグとサラダがのっていてサラダのドレッシングとハンバーグのソースが皿の上で混じり合っていたら、気持ち悪くて、混じってないところしか食べませんでした。
そんな性格でした。
こんな動物嫌いでしたが、18歳から一人暮らしをはじめて7年ほどたった時に、仕事でも余裕が出てきた頃に会社の人から、
「アメリカンショートヘアの猫が子供をいっぱい産んだからいらない?」
と声をかけられました。
動物嫌いの私は「そんな一人暮らしだから飼えないよ!」と言ったのですが、猫は家の中でほっといても大丈夫と強くすすめられたのですが、一旦お断りしました。
そして、その日に家に帰って、いつものように2Kの部屋の電気をつけてみて
「そういえばあらためて見ると一人暮らしには広すぎるなあ~この部屋!」
と思ったのです。
「それなら猫一匹いてもいいか?、動物嫌いの性格もこれを機になおしてみようか!」
そして、早速、翌日には猫をもらうようにお願いしました。
その週末にトイレの砂や餌を買ってきて、猫を受け取りにいきました。
小さな声で「にゃ~!にゃ~!」と泣いていてあまりにも可愛く、飼うことにしてよかったと思いました。
しかし、その後はトイレも用意した砂の上ではせず、餌も食べずいつも冷蔵庫の後ろにいて、その狭いところで大小のトイレをしてしまうという最悪の状況となりました。
無理に連れてきても噛まれるし、爪でひっかくしで自分の手も傷が絶えませんでした。
1週間すると家に帰って、冷蔵庫の裏のトイレ掃除が日課になり、嫌になって飼わなければよかったと後悔しはじめるほどでした。それからは、帰っても掃除だけして、ほっときました。
しかし、猫もやっと慣れてきて、冷蔵庫から出てくるようになり、喉をゴロゴロと鳴らして、体をこすりつけてくるようになり可愛く思えてきました。
それからは、寝るときも私のベットに入ってきて一緒に寝るようになり、猫が私の首の上にお腹を乗せて寝るようになったり、帰ると玄関に迎えに来てくれるようにまでなりました。これはめちゃくちゃ可愛いです。
あんなに嫌いな動物だったのに、この猫にだけは自分の子供のような愛情を持つようになりました。
一度だけ驚いたことがあるのですが、自分が仕事で辛いことや悩みが重なって落ち込んで家に帰っても猫ともあまりふれあっていなかったのですが、
「もう疲れきったよ」と更に落ち込んで帰ったときに、たまたま猫の体を触って「もう疲れたよ...」と言ったときに手から何かが伝わってくるのを感じたのです。
その触っている右手から伝わってくるものは自分の心に向かって流れてくるもので、疲れた心にまで届いた感じで「癒しというか、エネルギーというか」よくわからない何かを心に補充してくれているようでした。
あまりの心地よさにしばらく触ったままでした。
猫が私の疲れた心を感じとって、応援してくれているようでした。
「私を応援してくれてるんだね、ありがとう」と伝えました。
今でもその感触ははっきりと覚えています。
この猫とは20年ほど一緒に暮らしました。一緒に転勤もしました。大往生です。
ある日この猫は朝はちゃんと餌も食べていつも通りだったのに昼過ぎに亡くなっていたのですが、私が珍しくインフルエンザにかかって会社を休んでいる日でした。
「自分の最後の日ぐらい一緒にいてよ!と思って私をインフルエンザにかけさせたのかな?」などと感じました。
これもまた不思議な気持ちになりました。
最後の日は一緒にいれてよかったと思っています。
「私のサラリーマン人生を支えてくれて、本当にありがとう」
「少しは一緒に暮らせたことを幸せに感じてくれたら嬉しいな~」
そんな風に思いながら、さみしいお別れをしました。