弱いの知ってるけど

弱い自分と向き合い勇気を出させて30年サラリーマンを頑張ってきました。転職5回、仕事や転職の失敗談や理不尽・達成感・乗り越えた経験を紹介させてもらってます。 少しでも力になれたら、嬉しいです

女性の多い環境が社会不適応にはちょうどよい

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女性に感謝しています。

社会不適応な私がこれまで何とか社会でやってこれたのは「女性」のおかげだと本当に思っています。

 

私はいろいろな環境で仕事をしましたがもっとも長く勤務できた場所は女性の多い風土の職場でした。「女好き」とかそういうことではありません。

 

女性は仕事に対して、本当に真っ直ぐな人が多いのです。

特に正しいことやきちんと理解したことについては、徹底してやってくれます。そして、予想以上の成果を上げてくれることもあります。

気持ちがいいほど真っ直ぐで真面目で誠実な人が多いのです。

 

ですから、一緒に働いている自分自身も真っ直ぐに誠実でいなければいけなくなります。そして、そのような誠実な行動を自分ができることで自分に自信が出て真っ直ぐでいられるのです。

よく「女性との仕事は大変でしょう」言われたこともありますが、それはずっと否定してきました。

そのように考える人は女性や女性の仕事を軽視してきちんと向き合ったことのない人だと思います。

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私は男性だけの仕事が大変でした。

私は男性だけの仕事の方が大変でした。

男性は仕事よりも自分のプライドの維持を優先してしまうので、仕事と関係のないプライドをその都度、立てて上げる作業が必要だからです。

そして、しまいにはそのプライドの維持のために与えられた仕事もやらなかったりすることもあるからです。

 

女性はその男性のプライドもすぐに見極め、この男性は「どのようなプライドを持っているか?」を察知して、それにあわせるようにしているのです。

 

本当に頭のよい女性はこのようなことはすぐに適応してあわせる天才です。

だから、男性が誤魔化していることも、その場限りの言い訳も全てお見通しです。それが特に上司であれば尚更そのアンテナはよく探知して適応しているのです。

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全て女性に見破られていました。

だから、私は女性にはどんなに隠しても、虚勢張っても、カッコつけても全て見破られているのでこのようなことはしないようになりました。

 

しかし、男性の世界ではこのプライド重視が必要で本当に疲れます。

男性の中でプライドを持っていなければ、いつ叩かれるかわかりません。

男性こそ嫌みを言ったり、嫉みがあったり、他人の不幸を喜んだりと決して男同士だとサッパリしてなく陰険だったりするのです。

非常にそのあたりがややこしく男性だけの環境はあまり好きではありません。

それでも男性同士がつるんでいたりするので傷のなめ合いにさえ見えてしまいます。

 

だから、結局、私のような社会不適応な人間はわかりやすい女性の職場が向いているのだと思います。

そして、男性のプライドのぶつかり合いなどは冷静に見てしらけてしまいます。

このような価値観が私の社会不適応となってしまった要因なのかもしれないと思います。

自意識過剰な自分の無駄な時間

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『自意識過剰』な自分には本当に苦労しました。

私の中で生きていくのに、乗り越えなければいけなかったのが『自意識過剰』なところです。

初めて一人暮らしをした18歳のときにはこの『自意識過剰』に本当に苦労しました。

田舎育ちなので方言が気になり、話すだけでも勇気がいりました。

 

「田舎者と思われるのではないか?」

「田舎者とばれたらイジメられるじゃないか?」

「田舎者とばれたら自分の後をつけられて住んでる場所が知られるのではないか?」

こんなことまで思っていました。

最低なこともしていました。

満員電車の中のドアの近くに立っているときに自分が降りない駅に停車したとき、一旦、電車から降りて他の人が降りてから乗ればよいのですが、そのような発想がなくて頑なにその場に立ったまま動かず、降りる人の迷惑になっていたこともありました。

この時も「田舎者だと思われて自分が降りない駅なのに都会の人に降ろされそうになっている!」と思って抵抗していました。

本当にいい迷惑です。 

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満員電車で田舎者だと思われる!

この話しをして、今まで一人だけ共感してもらえたことがありました。

 

こんな話しはまだまだあるのですが、トイレットペーパーを買って、12ロール入りの大きめのものを持って歩いていると人から見られたら「お前はそんなに大をするのか?」と思われるのではないかと考えてしまって、買った帰りに歩きながら恥ずかしさで顔が赤くなっていました。

カフェのチェーン店でコーヒーカップの底に「大吉」と書かれていればコーヒー無料チケットプレゼントというのがあり、ついに「大吉」と書かれたコーヒーカップが初めて当たったのですが、当たりを申し出ると「ケチな人」と思われるのではないかと思いまたまた悩みました。こんな気になるなら当たらない方がよかったのにと思いましたが勇気を出して「これ大吉でたんですけど...」と無事に言えました。

実はこのチケットを使うときにも「本当に使う人がいるんだ、この人ケチだな~」と思われるのではないかと躊躇していましたが、何とか無事使えてほっとしたりしました。

 

こんなことでいろいろな葛藤があり、本当にひどい自意識過剰だと思います。

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まだまだ、自意識過剰はなくならないです。

このようなことは社会経験を繰り返すことで「何とか普通の人と同じくらいにはなれたかな?」と思うのですが、いまだに勇気を出して買いにいかないといけないものも多少はあるのでまだまだ自意識過剰はなくならないです。

 

誰も自分のことなど気にしてないのはわかっていて、自分が店員の立場でもそんなこと気にしてる暇なんかないと理解しているのですが、なかなか治らないものです。

 

こんなことを苦労に思ってしまうのもよくないですね。

「人生の中で無駄な時間を過ごしているのだろうなあ~!」と自分に呆れますが、このような自意識過剰の時には自分のケツを叩くようにして進ませています。

『出過ぎた杭は打たれない』の出過ぎた杭になってみたい

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社長になりたい人、手を上げて

以前に勤めていた会社でのことです。

その会社の社長が年に1度の方針発表を150名程の社員の前で行うのですが、その説明の序盤で、 

「将来社長になりたいと思っている人は手を上げなさい!」

と言ってきました。

 

私は「序盤から嫌なこと聞くな~!」思いながらも、

「ところで自分は本当にそのような話しが自分にきたら社長になりたいのか?」と自分に問いかけてみると

「まあ~頼まれたらやるかも?」

という程度でした。

 

数十秒後に社長から、

「遠慮せず、躊躇せず、手を上げなさい!」

周りを見ると真っ先に手を上げる人が数名で他は難しそうな表情でゆっくりと手が上がりはじめました。

「これは上げなきゃいけない忖度ってやつか?」

と思いながら、「それなら自分は手をあげない。」と決め、見ていると全体の30%程度は忖度で上げている感じでした。

手を上げない奴はダメな奴的な雰囲気が蔓延してきて、自分が手を上げていないことを誰かチェックしてるのかと気になり出しました。

この時に後ろの席にこの会場を設営した人事部の社員が並んでいたので、「手を上げていない社員をチェックしてたらどうしよう?」とまたまたいつものようについネガティブに考えてしまいました。

 

社長は冒頭のこの質問で方針発表を聞く私たちの気持ちを引き付けることが狙いだったようですが、その後の雰囲気は忖度があったためか、人事部のチェックがあったかないかわかりませんが、確実に微妙な空気になりました。 

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出る杭は打たれる!

その後、方針の説明が開始され、説明の後に今度は、

『出る杭は打たれる』という言葉を知ってると思うが、先ほど社長になりたいと手を上げた社員は『出る杭は打たれるかもしれないが、それでも徹底して出なさい!杭が出きってしまったら、打たれても引っ込まなくなる!』だから、出きるまでがんばってほしい。

これを伝えたかったようでした。

 

気になったので後で調べてわかったのですが、松下幸之助氏の

「出過ぎた杭は打たれない」

という言葉を私たちに伝えたかったようです。

 

その言葉を少し時間が経過して、ふとあらためて思い出し、

「自分は”出過ぎた杭”にはなれない性格だよな~」と感じたのです。

私は、

「自分にプラスになることは少しだけ出ていたい杭」

「自分にマイナスになる可能性のあることは周りにあわせて少しも出ることも引っ込むこともしない杭」

になるように自分で調整ばかりしてきた人間です。

簡単に表現すると「ちょっと人よりは目立ちたいけど、都合悪くなるとみんなと一緒」と主張する小学生のようです。

 

そのように平均的に生きていくことが正しいと思って生きてきたので、あらためて自分の普通さというか平凡さを感じたりしました。

それでも、自分の課題として少しは出る杭になろうとその会社の会議で提案してみたりとがんばってみたりするのですが、やはり無理にやっているからか、その私の心の杭はちょっと打たれるとすぐに引っ込んでしまいます。

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出すぎる杭になってみたい!

『本物の出過ぎる杭』になろうという思いが足りないのだろうと思うのです。

社会でやっていくのに必要なことだと理解はして自分もそのようになってみたいと思うのですが...私にとっては結構ハードルが高いことです。

 

せっかく目標に持ったことなので、時間がかかっても、

いつか出過ぎる杭』に一度でいいのでなってみたいと思っています。

「雨ニモマケズ」の詩が心に染みます

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雨ニモマケズ」の詩が心に染みます。

就職活動中で会社勤めをしていないために、最近、「自分のこれまでの生き方」と「これからの生き方」を考えることが増えたのです。

その時によく思い出すのが小学生の頃に国語の授業で暗記させられた宮澤賢治氏の有名な雨ニモマケズ」の詩です。

 

宮澤賢治氏は私の生まれ育った岩手の出身なので、国語の授業ではよく登場していました。

小学生当時は雨ニモマケズの詩にほとんど共感ができませんでした。

暗記はしたものの「つまらない人生を送りたい」と言っているようにしか思えませんでした。

私の解釈は、

雨風にも雪にも夏の暑さにも耐えるだけで、わずかなごはんと野菜だけ食べて、何かあればわざわざ出かけて、人の世話を少ししたり、争いがあればやめろと言ったり、褒められもせず、苦労もしないそんな人間になりたい

「このような生き方が何が良いのか?」と思っていました。

 

東京に出て、出身地を答えると宮澤賢治が出身だよね」とか「”雨ニモマケズ”いいよね」等と言われるのも嫌でした。

どうも本質が理解できてなく、どのように考えているか聞かれるのも嫌でした。

無理矢理覚えないといけなかったためもあったのだと思います。

 

それが社会に出てある程度経過してから理解できるようになりました。

恐らく、負けそうな自分に苦しんだり、裏切られ悔しい思いをしたり、自分が感情的になったりとあったからだと思います。

人と人との間だからこそ起こるいろいろなことに心が揺れ動くことを繰り返したからなのです。

本当に苦しんだときにこの詩を読んで、自分を反省し、救われる思いになったことも何度もあるようになりました。

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自分の欲が原因!

そして、結局は「自分の欲」が全ての原因なのだと突き付けられました。

◎自尊心を守りたい欲によって怒ってしまうこと

◎もっとおいしい高いものが食べたいという欲

◎自分に都合のよいことしか聞こうとしない自己中心的な欲

◎自分の家が欲しい、金が欲しいという欲

◎自分の利益にならなければ他人はどうでもよい思うこと

◎褒められたい、認められたいという欲

このようなことを戒めてくれました。

 

今では私の中で大切な心の支えになっています。

「本当にありがとうございます。」と宮澤賢治氏に伝えたいとまで感じます。

あらためて読んでみてください。

 

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雨ニモマケズ

雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

慾はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の陰の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしは

なりたい

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「自分の弱さ」はなかなか開かない貝のようです。

私は昨年8月に仕事を辞めてから半年が経過しました。

辞めた直後は季節も夏だったのが、秋になり年末年始を迎え、これから春になろうとしています。

仕事もしていないのに時が経つのが仕事をしているときよりも早く感じます。

1日があっという間に過ぎていきます。 

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私が考えたこと

その間に考えたことは、

アフィリエイトフリーランスを目指そうか?

◎通販の起業でもしようか?

◎自分が本当にやりたいことは何か?

◎自分は生活のために仕事をし続けてきただけだったのではないか?

◎資格を取ろうか?

そして

◎本をじっくり読むようになり、自分が狭かったと反省もしました。

◎サラリーマンの安定した収入の有難味も感じました。

◎自分一人では何もできないと痛感しました。

 

このように大したことは出来ていません。

「自分の中の狭い中でいろいろな葛藤だけしていたのかな?」と思います。

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ブログをはじめてよかったこと!

一方で良かったことはブログをはじめて、自分の過去を書いているうちに自分の人生としっかり向き合うことができたことです。

そして、自分の弱さともしっかり向き合えた上で、自分の強みに気づけたことです。

それは、

『自分の弱さを乗り越えるために勇気を振り絞った心の中の”弱さ”との戦い!』

でした。

 

その戦ってきた自分の弱さとは

「社会に対してなかなかすぐに適応できない不器用でわがままな自分の心でした。」

 

だから、綺麗に正しいことばかり書くことを止めて、自分としっかり向き合い続けるためにも正直に弱さをさらけ出してみようと考えたのです。

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自分の弱さは貝のようになかなか開かない!

”自分の弱さ”はこれまで表に少しでも出さないように心の蓋をする癖がついていました。みんな大人になるとそうなのかもしれません。

私は完全にそのように防御しながらしか生きていけなかったのだと思います。

表現するためにその蓋を開けようとするのですが、すぐに閉まろうとしてしまいます。固くてなかなか開かない貝のようです。

こんなにも頑なに開きにくい心だとは思いませんでした。

そして、その自分の心を少しずつでも開き、そこから絞り出す作業は本当に心が疲れます。

こんなにも大変なこととは思いませんでした。

 

作家さんなどの創作する職業の人というのは、このような大変な作業と凄まじいエネルギーで戦っているのでは?と勝手に想像してみました。

サラリーマンでは決して味わえないことだと思います。

サラリーマンはやはり他人のレールの上を走っているのでしょうね。

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もっともっと正直な自分で!

今後も”自分の弱さ”の頑なな殻と向き合って、もっともっと正直な自分や弱い自分を自然に表現していけるようになりたいと思っています。

そのようなことしか、どうやら私にはできなさそうです。

これを超えれば、自分が知らない何かがその先にありそうに思うのです。

だから、それを追求して掘り下げてみたいと考えています。

やっぱり人のために生きていきたいな~としみじみ感じました。

第10回「客観的な自分と主観的な他人」/社会不適応の自分が適応してきたこと

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”客観的な自分”と”主観的な他人”

客観的な自分と主観的な他人についてのお話しです。

そんな難しいことは言えないのですが、こんな社会不適応な性格の自分だからこそ余計なことを感じるのです。

 

私が初めて入社した中小企業の社長に言われたのですが、

「何をやらせても80点だな~!、30点とかあってもいいから100点や120点のところがあったらもっといいのになあ...ダメではないんだよ!」

との言葉でした。

自分にとっては実の父ちゃんよりもこの中小企業の社長の言葉が重かったのです。

 

今一つ意味がわからないでいたのですがその日の夜に、ふと自分がこの社長に”ダメ出しされたんだよ!”「気にしい」な自分がささやくのです。そして、ショックと捉えて落ち込んだのです。このようにいつもはじまるのです。

 

「それなら自分はどうしたらいいのだろう?」と思いながらも社内の他の社員をあらためて、得意な客観性でよ~く観察してみました。

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まだ、幼い自分にとって『凄いところあるな~!』と思えた

確かに役職のついている人は

「凄いところがあるなぁ~!」

「確かに100点を超えているところを持っている!」 

 

営業の係長は一度取引先と初めてあっただけで以前から友達だったようなコミュニケーションをすることができ相手を”ちゃん付け”までしてあっという間に心をつかんでいました。まあ、困ったところは細かい仕事をやりたがらない人ではありました。

 

課長はどんなに大変な納品や想定外なことが客先で発生しても諦めず、ホームセンターに行って部品を探してでもその日のうちに解決したりと凄い人でした。しかし、怒りっぽくて、会社への不満を口にする人でそれを聞くのが少し嫌でした。

 

この社長が言っていた自分に足りない部分がわかりました。

このような人達のような突出したものが私にはないのです。

いろいろな仕事をきちんと行うことはできるのですが、それ以上がないのです。

自分がその仕事をするときに付加価値をつけられないのです。 

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私のような”人見知り”にとっては無理!

私のような「人見知り」にとって係長のように取引先の人に対して、気さくに話すコミュニケーションなどは「こいつなれなれしい奴と思われるから絶対にできないよ!」と思えました。

また、この課長のように仕事をやり遂げることに情熱もエネルギーも持っていない私は「そもそも仕事はそこまで本気でやることなの?」と客観的に思ってしまうのです。

この最大の原因はやはり客観的に見てしまう自分の癖なのです。

この上司2人は自分を軸に主観的に動くことができるのです。

 

根本的に「客観的な自分」「主観的な上司」でそもそも180度全てが違ってました。

どうやらこの社会では主観的に動くことが評価され、自分のような客観的な人間は評価されないんだと叩きつけられました。

やはり自分は”社会不適応な奴”なんだと気づかされました。

 

その後、「主観的な自分になるには?」というか「主観的になれそうもない自分」という課題が頭の片隅に残るようになりました。

 

「情熱」「エネルギー」や「自意識過剰」だったりするのは、全て自分を

「客観的な視点で見る」からです。

 

主観的になれないのは物事に対して覚めているんです。わかった振りをしているんです。偏屈なプライドなんです。

 

だから、このように「主観的になれそうもない自分」というものをまた、新たに背負ったのです。

自分の問題や欠点の負を背負うから、このような負のスパイラルにはまっていくのです。

これが私の自信がないからこその余計な抱え込みなのです。

 

しかし、この会社が初めての正社員だったので、当時は世の中の全てがこの会社と一緒と思い込んでいましたが、

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この会社が全てではありませんでした!

全てではありませんでした。

 

そして、その後転職をして、

「自分の客観的な部分や負のスパイラルは人材マネジメントに必要なことがある」

と気づいたり、

「もともとの自分は主観的ではないけど、経験を積むことで仕事上では主観的になれる!」

と気づくいていくことになっていきました。

 

結局は狭い世界だけで負のスパイラルに陥ってうじうじしていただけでした。 

 

客観的なところは”仕事を俯瞰して見れる”ことにつなげられ、

ネガティブ思考も自分と同じ”社会不適応な人”の人材マネジメントに使えたのです。

こんなどうしようもない奴でも役立つことがあったのです。

社会不適応な自分って良いことだと思えた。

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自慢するかのように書いていたと感じるのです。

この社会不適応な自分を表現するまでは、社会で経験してきた正しいと思うことを自慢するかのように書いてたと感じるようになりました。

それはそれで偽りでも体裁でもなく自分が感じた本音ではあるのですが、

◆正義なこと

◆優秀に思われるなこと

◆関心してもらえること

◆斬新と思われること

などの秀でていることをアウトプットしないといけないと勝手に思っていました。

 

他の人のブログを見るたびに、「頭脳の高い表現をされているな~」とうらやましく感じ同じようにしなければといつもの自意識過剰のプレッシャーを自分にあびせ、自分の国語力の低さや表現力の狭さをコンプレックスに感じていました。

書いては保存せずに終わらせたことも何度もありました。

 

今年の元旦から数日アップできなかったのは、このコンプレックスが原因です。

 

そして、再開しても

「自分の表現力は上達しないなぁ~?伸びしろないなぁ~?」

と心に引っ掛かり続けていました。

 

そして、やっと気づいたのは、

まだまだ自分をつくろって表現していることがあるということです。

これがダメなのです。

 

心の奥でカッコつけたり、頭良さそうに見せようとしたり、自分を少しでも頭脳明晰に見せようとまだまだ潜在意識が働いているのです。

これは自分が嫌いなことです。

だから、偽りに感じて納得できないのです。 

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「カッコつけたい」「大きく見せたい」「真っ直ぐに見せたい」

これまでの表現は、

『カッコつけたい』

『大きく見せたい』

『真っ直ぐに見せたい』

 

これになっているのです。

自分が一番なりたくない、嫌いな自分を潜在的には意識していたのです。

もの凄くしょうもない奴って本気で自分のことを思いました!

 

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「自分に正直に生きたい」「他人に正直に生きたい」

私の心は、

『自分に正直に生きたい』

『他人に正直に生きたい』

『逃げずに真っ直ぐに生きたい』

 

社会不適応な自分でもこれは曲げられないと最低限の目標にしてきました。

これが出来なかった弱さもあり歪んだり、ズレたりしてきたけど自分の心は少しでもこのように正直に真っ直ぐに生きようと心がけてきたのです。

その思いすら、アウトプットしようとすると歪むのはまだまだ「ケツの青い小僧」なんだと思います。 

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これが今の自分なのだろうと真っ直ぐに受け止めようと思います。

それなりの年齢なのに情けない奴ですが、これが今の自分なのだろうと真っ直ぐに受け止めようと思います。

 

自分がこれまで心を動かされたものは、仕事でも音楽でも本でもテレビ番組でも自分の本音を真っ直ぐに伝えてもらっているものです。

だから、自分も自分を真っ直ぐに表現してみたいと思ってこのブログにもチャレンジしてみました。

こんなにも自分を表現することが

「自分に真っ直ぐに向き合い」

「自分を見つめなおすこと」

「表現を絞り出さなければいけないこと」

とは思ってもみませんでした。

 

そして、実際に表現すると

「内面を見せている怖さ」

「誹謗中傷されるのではという怖さ」

「自分をさらけ出すことの漠然とした怖さ」

を感じます。

 

想定以上に次々といろいろなものと自分が戦うことになっているのですが、最近、やっと超えられそうにも感じてきました。

そして、超えた先にある何かを自分に与えてくれるのではないかと感じれるようになってきました。

久しぶりのめちゃくちゃ前向きです。 

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「きっと社会不適応って良いことだぜ!」

そうは言ってもこんな面倒くさいことを本気で悩んでいたりするのですが、

「やっぱり自分は社会不適応だな~!」とポジティブな確信が持てはじめました。

表現はネガティブですけど自分の中では何かを見つけられそうなんです。

 だから、

『きっと社会不適応って良いことだぜ!』

バンザ~イ!