第9回「自分から怒られた!」/社会不適応の自分が適応してきたこと
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ときどき出てくる”もう一人の自分”に怒られたしまったお話です。
今考えるともっとも脂の乗りはじめた会社員の30歳前半の頃ですが自分も脂を感じはじめた頃のことです。
勤めていた会社の業績も順調で拡大路線を進んでいたのですが、そのときにいちようその部署のNo.2と思われていたこともあって、役員と部長が出張して来たときに会議室に私だけが呼ばれ、「そろそろこの部署を担当してはどうか?」という話でした。
正直、今のこの部署はやや人間関係に課題があったの「ちょっと面倒くせ~タイミングだな~!」と頭をよぎりましたが、前向きな素振りをしないとと、いつものようにいい子ぶって「がんばってやらせていただきます!」と積極的風に了承しました。
根本は「社会不適応な性格」なんですが、”人前に出たがり”ではあるので、あまり深く考えずに了承したのです。
自分が所属している部署の長は別の拠点に異動で私はその部署の長になるという人事とのことでした。
返事はしたもののその直後から当然のように、”いつものネガティブ”な思考が自分の心の中を支配しはじめどんどんあたまの中を巡りはじめました。
◎生半可な気持ちで了承してしまったよ...
◎よく考えてから返事すればよかったかな...
◎これまで2番目の位置で楽だから、まじめに仕事できたのに本当にできるかな?
◎部署の長っていったい何をすればいいのだろう?
◎毎月本社の会議に行くことになるけど、自分も怒られるのかな?
◎自分なんかが長で同じ部署のみんなは不安じゃないのかな?
このような不安がどんどん心の奥から自分に問いかけてきます。
今まで、「自分がこの部署のトップならこうするけどな...」とか生意気にさんざん思っていたのですが、いざとなると不安でいてもたってもいられなくなりました。
そして、はじまる前から脳が興奮状態で睡眠もあまりとれない日もありました。でも、図太いところもあり、よく眠れる日もありました...
そんなときに新しい役職の名刺が届いたのです。
「めちゃくちゃかっこいいじゃん!俺!」
とテンションが上がり、悩んでいたことはどうでもよくなりました。
そして、また不安がやってきたらその名刺を見て消し去っていました。
結局は一時的な効果しかないので、すぐにその名刺効果はあっという間になくなってしまいました。
そして、その部署の長として開始する日になりました。
いつもいた上司はいなくなりました。
「自分がどれだけその上司に依存していたのか?」
「自分は所詮は責任を持つことができていなかったのだ!」
「自分は当事者から逃げていた、しょうもない評論家レベルだったのだ!」
「自分では何もできない奴だった!」
「自分にはできそうもないから、帰ってきてくれないかな...」
このような情けないところまで落ち込みました。
そして、家に帰っても悩み続け
「自分は情けない人間なのだと認めてみよう!」と自分の心を放(ほお)ってみたのです。
どこまでも心が落ちていけそうで、落ちきったら底に着くまで行ってみてもいいかと更に心を放り続けてみたのです。
すると、これが鬱の領域の入り口かもと思えるところにやってきたのですが、
「これ以上いくとやばいかも!」
そう感じたのですが、どうもその底には入れそうにないのです。
そこで、ときどき登場する私の嫌いな、”もう一人の自分”が登場!しました。
「あんたなぁ、何もやっていないうちからそんなとこまで落ちて何してんの?」
「自分に酔ってんじゃないよ!」
「いつも何かあれば悲劇のヒロインの振りして、ヒロインじゃないけど...その悲劇のお部屋で甘やかしてもらおうと思っているのはお見通しだよ!」
”おい!冷静な自分、めちゃくちゃ言うなよ...”って返しましたが、
「言われたこと本当は全てわかってるでしょ!」
”は、はい、その通りです。わかってます。それでは現実に戻りますよ...でもね、そんなこと思うことくらいはさせてもらってもいいじゃないかなぁ~”
「そこまで落ちたら十分でしょ!、はい、戻って戻って」
”は~ぃ、その通りで~す。”
そして、戻されるのです。
そこから長としての苦労の会社生活がはじまったのですが、このような”もう一人の自分”ってみなさんにいるのでしょうか?
このもう一人の自分が言うことは、実の母ちゃんや姉ちゃんが言いそうなことをこちらの心境を察することもなく平気で明るく、ズドーン!と言ってくるのです。
しかも落ちているときの今回のようなどん底のギリギリ手前でいつも登場して戻されるのです。
こいつにはあまり登場してほしくないのですが、
ひょっとして、こいつが私の「理想の自分」なのかもしれないと思ったりします。
だから、やばいところまでいかないのだと思います。
これが育ててくれた家庭の愛情なのかもしれないですね。
久しぶりに実家に帰りたくなってきました...
第8回「なぜか人前に出てみたい」/社会不適応の自分が適応してきたこと
社会不適応の自分が適応してきたことの第8回目になります。
最近、自分の内面を出しすぎではないかと漠然と怖さというか恐ろしさを感じます。
何が怖いのかと言われるとよくわからないのですが、ドキドキしながら書いてるのですが、それが、快感というか納得というか心地よさと少しの不安も感じて心の配置をどのようにしたらよいか難しいパズルをしているような気分です。
私の構成要素である
「気にしい・神経質・自意識過剰・M気質」
この4要素が敏感に強く反応しているのだと思われます。
今回、反応していない「人見知り・消極的・人が苦手」はどうにか落ち着いてます。
ところで、このような7つの社会不適応要素を持っている私は、
「なぜか人前に出てみたい」
という思いがあるのです。
社会不適応なのに不思議じゃないですか?
私もこのような自分が不思議なのです。
これまで、人前に出たことと言えば、
◎小学校の剣道の試合で100人くらいの前での試合したこと
◎小学校のクラス委員で40人の前で話したこと
ーー 暗い中学高校短大の頃は何もないです ーー
◎会社の全体の発表会で700人の前で方針を話したこと
◎企業の展示会イベントで100人程の前と150人程の前で2回話したこと
※結婚式のスピーチも1度だけ100人程の前で話しました。
さすがに700人の前で話しているときは途中であがってしまって10秒ほどの無言時間が出てしまいました。
しかし、このような人前に出ることは実は嫌じゃないのです。
どちらかというと人前に出る方が好きなのです。
自分のことではありますが、本当にわがままで、面倒くさい性格だな~とも感じます。
よく何が何でも人前に出ることを嫌がる人っていますが、そのタイプのように見えて実は違うのです。
私のような人種は、
『他人に関心や興味がありすぎるから、他人を意識しすぎて「人見知り」になるのです。』
本来持っている「気にしい・神経質・自意識過剰」は他人がどう思っているかを気にしすぎるから、そのようになってしまうのです。
堂々と言えることではないのに偉そうにすみません。
人前に出るのがとことん嫌がる人っていますよね。
このような人は他人に関心や興味がないので「人見知り」にならないのです 。
勝手な考えですが「自分が大事で他人が嫌いな人」ではないかと思うのです。
そのように考えると同じように生きるにしても今の「社会不適応」がいいじゃないかと思えてきました。
他人を気にして、神経質になって、自意識過剰な自分と戦って生きてしまっているのですが、他人が嫌いで自分のために生きるよりはこの方が良いと感じてきました。
そして、人前にも出たがって、あがってしまっても人として良いようにも思います。
不器用ですけど、このようにしか生きていけない自分でいいんだとこれを書きながら思えるようになってきました。
あらためて、そんな生き方だったのだと認識できました。
だから、サラリーマンでも課長、部長止まりだったのです。
やっぱり人のために生きていきたいな~としみじみ感じました。
社会不適王の職探し奮闘記『やっと面接1回目』
最近、社会不適応ばかり表現しているので、学習されて「しゃ」と打っただけで
「社会不適」と出るようになり、不気味と感じながら「おう」と打ったら「王」の字が...
『社会不適王』という字になり、こんな漢字いいかも!
社会に適応できない人のグランドチャンピオンみたいで、ここまでたどり着きたくなって清々しい気持ちになりました。
これにブログ名を変更したくなりました。
本日は社会不適応な私が2020年1月から開始した就職活動で2月に入ってやっと1回目の面接まで進むことができ、受けてきましたのでぼやきを聞いてください。
私は今年に入り、安定収入が必要と感じ再就職活動をしています。
年齢が高いと面接までたどりつくのも非常に難しいです。
企業との間に入っている人材紹介会社から断られ面接に行くこともできないことが多いのです。
本日、面接を受けた企業は書類選考を通過してやっと面接まで行けました。
そして、今日、久しぶりのお腹が少しきついスーツと久しぶりに締めたネクタイで行ったのですが、早速、会議室に通され会社案内を説明していただき、その後に面接となりました。
まずは、こちらから経歴を話しました。
ここまでは順調でした。
そして、面接官から、募集要項に記載してある業務内容とは異なるもので私を検討していたとのことでした。
記載してある仕事だと給料は安くなってしまうとのことでしたが、その給与欄には「〇〇万円~〇〇万円」と書いてあったのです。
その金額を見て応募したのに掲載してある業務内容だと給与が低くなってしまうと言うのです。
「出たよ!多少掲載内容と違っても問題ないと考える中小企業のあるあるだよ!」
と心の中で思いました。
「求人を掲載している先に私が言ったら、掲載できなくなるよ!」
と思いながらも大人の対応で話しを聞いていましたが、先方も矛盾を感じたらしく無言になってしまいました。
そして、この無言を大人の対応でもしようと思い
「何か私で可能性があるような案件があれば、ご連絡頂ください」
と言って、こちらから面接を終了させてもらいました。
実に無駄な時間と無駄な交通費となったのですが、少しだけ収穫がありました。
それは、半年ぶりにスーツ着て、ビジネスバックを持って、企業に訪問するという社会人としての久しぶりの自分の行動に「労働」の楽しさを感じることができたこと。
また、面接では私の中のビジネス向けスイッチがきちんと入り、スムーズな会話や回答できたということです。
「まだまだ行けるな~! 腕落ちてねーぞ、俺!」
面接のイニシアチブは営業やってた時よりも今日は抜群にとれていたと感じました。
「私の中の偽りの社会人」は健在だと自信が持てました。
しかし、今、これを書きながら冷静に自分のことを俯瞰して見てみると
こんなことが喜びって、やっぱり自分は小さい奴だと恥ずかしくなりました。
そして、面接のイニシアチブっていう視点が社会人としてダメですね。
面接で人の上下を気にするとか、そもそも相手企業が上で自分が下の位置ではないといけないです。
一つ思い出しました。
面接官に「うちの会社じゃなく、経験のある業種の企業を応募されてはどうですか?」と言われて心の中でちょっと「カチン!」ときました。
「それなら、この会社にわざわざ面接まできてないよ!」
と心の中で思っていました。
そこから饒舌になっていったのです。
まあ、このようにいい年齢でも
「こんな、くそ生意気でいいか!」と思えました。
この考えが「良い方向に行くのか?、悪い方向にいくのか?」わかりませんが社会不適応の自分らしい場所を引き続き探す旅を続けます。
きっと更なる荒波を渡ることになるのですが、気にせず進んでいこうと思います。
これをたまたま見た転職活動や就職活動中の方もがんばってください!
また、生意気な社会不適応者の話しを聞いてくれたら嬉しいです!
第7回「社会不適応のはじまりは小学校から」/社会不適応の自分が適応してきたこと
第7回は小学校の頃からつまずいたお話しです。
私は物心ついた頃から、家族も人も大好きでした。
それは、誰もが自分のことをかわいがってくれるからです。父ちゃんも母ちゃんも姉ちゃんもです。そして、近所の親戚の人もみんなかわいがってくれていたからです。
自分で言ってしまいますが、子供らしいかわいい顔してたし、人が好きなのでいつも人と会うと自然にニコニコしてました。
そして、出掛けて自分だけお菓子を買ってもらうときには必ず「姉ちゃんの分は?」と言って一緒に買ってもらっていました。
裕福な家庭ではなかったので、お菓子は最高のご褒美で家に帰って姉ちゃんと一緒に食べて両親にも少し食べさせてあげたかったからという思いやりもあった子供でした。
みんながそれでニコニコして笑うのが大好きでした。
しかし、姉ちゃんは両親にはあげずに自分だけで食べてました。
それがちょっと嫌でした。
根っからの平和主義で生まれてきたのだと思います。
姉ちゃんの影響なのか保育園ではいつも女の子とばかり遊んでいました。自分の左右にはいつも女の子がいてよく手をつないでいました。それが普通だと思っていました。
このように周りに甘やかされたまま小学校に入学しました。
すると思いもよらないさまざまな出来事がやってくるのです。
入学式の初日に隣の席のはじめて知った女の子と手をつないで体育館に入場して、退場も手をつながされましたが、自分にとっては女の子と手をつなぐのは普通のことで、その日の休み時間に遊びに行くときも隣の席の女の子の手を握り、一緒に外に行こうとしたのです。
すると手を振り払われて、嫌な顔をされて「なんで手をつながないといけないの?」と言われて行ってしまいました。
何が何だかわからずショックでした。外に行くのに手をつなぐのは当然と思っていたからです。
それから、その隣の子とは話をすることもできませんでした。
そして、よく見てみるとクラスの男女が分かれてグループになっていました。女の子と一緒にいる方が安心できたのですが、この小学校という世界ではあまり一緒にいてはいけないようだと気がつきました。
このように小学生のはじまりの出足をくじかれてしまいました。
変に意識してしまい、女の子とも男の子ともあまり遊べなくなりました。
それからは一人でいることが多く笑顔も少なくなっていきました。
勉強も本格的にはじまりましたが、ここまで「本能と安心の中」で生きてきたので勉強をする意味すらわかりませんでした。
恐らく私の社会不適応のスタートはここからはじまったのだと思います。
その小学校生活がはじまってから、新しい家ができて引越しすることになりました。
これまで住んでいた家には親戚や小さい頃からの友達が近所にいましたが、新しい家の近所には親しい人もいなくて登下校も一人になり、更に社会不適応に拍車がかかりました。
毎日、家に帰ってテレビを見ることだけが楽しみでした。
家では生き生きしていたので「外に遊びに行きなさい!」「内弁慶なんだから...」と家族から言われていました。
これまで守ってくれた家族にまでそんなことを言われて更に自信をなくしていきました。
姉ちゃんはバレー教室・そろぼん教室・書道教室・ピアノ教室などいろんなことに興味を持っていたのですが、当然ですが母親は私にもっと積極的になってほしかったようで姉と一緒のそろばん教室や書道教室などさせてみましたが、私が一切やる気がなく、1日ですぐに行かなくなりました。
そして、私に「何も続かない!意地もない!」と怒られ、「親戚の〇〇ちゃんは一生懸命勉強して頭が良くてすごい学校に入りそうだけど、お前は成績も悪いし何も続けられない!」と今度は更に比べられるようにもなりました。
自分は「何もできないどうしようない人間なんだ!」と思い込むようになりました。
このような暗い小学校生活だったのですが、小学校3年生のときの担任の先生が私に何かを感じたようで気にかけてくれていました。
そして、いつも手をあげて答えることはない自分が国語の時間にその先生から差されて自分の意見を言わされたのですが、自信なく回答したのですが、ものすごく褒めてくれました。
「大人のような意見で素晴らしい」とまで言ってくれました。
ダメな人間だと思っていた自分が褒められることなど一度もなかったので、嬉しくて嬉しくて、国語も頑張りましたが他の教科もがんばるようになっていきました。
そして、人が変わったかのようによく手を上げて答える生徒になっていきました。成績も伸びて、クラス委員などにも立候補をするといつも当選していました。
不思議な思いでしたが、やって小学校が楽しくなりました。
先生がきっかけを作ってくれたことは幼いながらもわかり、心から感謝しました。
小学校4年生で先生は転勤になりましたが最後に何かお礼をしたくて、千羽鶴を折りたかったのですが、1つ作るだけでも大変で30羽鶴になってしまいましたが、先生の家に持っていき先生にお礼を言ってプレゼントしました。
先生は思ったほど喜んではくれず、なんでプレゼントをもらったのか不思議に思っている様子でした。
そんなこんなで社会不適応だった自分がやっと上向きになりました。
というかやっと小学生レベルになったのだと思います。
この先生と巡り合っていなかったら、暗い道を進んでいじめの対象になり、不登校や引きこもりにまっしぐらに進んでいたのではないかと思います。
この経験を今でもよく覚えているのは、こんな先生のように「弱い自分と戦っている人」「悩んでいる人」「迷っている人」に自分がきっかけを与えてもらったように、与えられる人になりたいと幼いながらも思ったからです。
こんな自分でもそれくらいは、できる人になりたいと思い、社会人もやってきました。
これが私のやり続けたい人のためになることなのだろう!と思います。
こんな社会不適応な私でも誰かの役に立てたらなどと大それたことを思って生きてます。
第6回「器の大きい振りされて、振り回された」/社会不適応の自分が適応してきたこと
第6回になってきて、何を第1回目からはじめたのかわからなくなりそうだったけど、思い出しました。
あらためて自分の性格から打ち明けて、「これまでさんざん愚かな落とし穴に落ちたこと」、「それでも何とかやってこれたこと」を伝えて、たまたま読んでくれた方が「自分はこんなにならないよう”がんばろう!”」と思えてくれた嬉しいとの思いからでした。
某関西の中小企業の社長さまに「器の大きい振りされて、振り回された」お話しです。
この中小企業とは関西方面で仕事しているときに取引きしていた会社だったのですが、東京に転勤して半年後にこの関西の会社の社長さまから電話があり、何かと思ったら
「今、社内がうまくいってなく困っているから来てほしい」とのお話しでした。
すぐ左横には上司が座っていて何とかごまかしたのですが、普通の表情ではなかったと思います。
「こんなことあるんだな...すげ~俺!」
とかと思ったのですが、
実はちょうど密かに転職を考えていたところで、転職の紹介会社に「今のままがいいんじゃないですか?」と言われたところだったので本当に驚きました。
「もういいよ、この会社でやってくよ」と少し投げやりだったので「これは運命だ!」とまで思いました。後に後悔することになるのにです。うまい話しはないのです。
そして、家族と共に引越ししてまで転職しました。
入社したときに最初にその社長さまに言われたことは、
“とにかく思い切り、やりたいようにやってくれとのことでした!”
「ワー!スゲー!器デカ~!さすが社長さまは言うこと違うな~!」と思いました。
でも、社風も文化もわからないけど、それをやりきることをしなければとプレッシャーがかかりながらも自分の考えで、いろいろ変えていきました。
毎日、朝から夜まで仕事して新天地なのでものすごく疲れます。
ただでさえ「気にしい・神経質・自意識過剰・人見知り・M気質・消極的・人が苦手」という弱い人間なので、それはそれはもう溺れそうなくらいもがき続けていました。
だって、優秀な自分を演じないといけないからです。
そして、いろいろ進めていると社長さまに疑問をもつことが出てきました。
私の部署で勤務している社歴10年以上の社員を呼んで、
「私の運営方法や進め方はどうか?」のヒアリングをすると言うのです。
何を言われるのか内心はドキドキしました。
そしてヒアリング後に私にフィードバックもなく、どのような話しになったのかをこちらから質問しても明らかにしてくれませんでした。
「不思議ではあったのですが、言いにくいのかな?」程度に思っておくことにしました。
それから、年末の社長さまとの面談で
「来てくれて助かった。自分が現場に携わることが少なくなり売上に集中できる!」「これからもやりたいようにやってくれ!」
とのことで私への指摘も遠慮なく言ってほしいことをお伝えしましたが「何もない」とのことでした。
そして、いろいろな改善を続けていったのですが、私に進めてほしくないことは別の部署の長を経由して「社長が〇〇はやりたくないと言っていた」と伝えられるのです。
これが何度もありました。
途中で「私には直接言いずらかったのですか?」と聞くと「私にもわからない」とのことでした。
その社長さまは残念ながら、直接言うことができない人だったのです!
そして、社内でも良い話のときだけ前に出るというまるで国と国が事前に事務方が協議して、良い話になってから会談を行うようなことをしたい人だったのです。
100人もいない中小企業にも関わらずです。
「わ~!失敗した~!」と思いました。
こんな私でも、久しぶりに経営者の近くで仕事ができるので、その手腕や度胸など学びたい思いもあり転職したのです。
本当にがっかりしましたが、これから良い部分も見えてくるだろうと前向きに自分を持っていきました。
しかし、がっかりすることがその後も多くありました。
ほとんどが守りの発想ばかりで驚きました。
◆会社の売上を上げていったり、成長させたりすることはしない。
◆上場など目指すつもりはない。
◆社員が安心して働いてくれればそれだけでよい。
◆一番大切なのは自分の家族、次が社員、でも社員は家族だ
◆直感が大事だ
もう訳わからないです。
元々、会議がなかったのですが、会議を開いて参加してもらってもすぐに飽きて退室したり、あまり意見も言ってくれませんでした。
まるで、年老いたどこかの会社の会長のようでした。
そして、会社の売上が下がっても新しい商品を投入することもせず、毎日、取引先との食事会ばかりしている方でした。
そのような会社なので、私が変えないとと思って行動してたのですが、それがまた嫌だったようで、また、間接的に「それは社長がやらなくてもいいと言っていました」と他の部署から聞くのです。
中小企業はそうかもしれませんが、このようなことは「生真面目な私」にとっては不信感でしかありませんでした。
そして、嫌われていったのですが、引越しまでして、子供にも苦労をかけてしまった末がこれかと思うとやり切れない思いにもなりました。
「運命」などど感じた自分がバカでした。
これまで「運命」を感じたことはありませんでしたが、この会社に入社して社長さまが「直感は大事だ」などと言うので信じてみたこともありましたが、その類で判断したことはあまり良い結果にはならないことをこの会社で知りました。
結局、その後もいろいろ理不尽なこともあってその会社は8年ほどで退職することになりました。なんと退職金は50万円程度でした。
退職することを伝えると「いったいどこの会社にいくのか?」を聞かれ回答を断ると他の社員経由で私に聞くように仕向けたり、「退職金は規程は少ないから別に個人的に出す」と言われたりとありましたが、2~3ケ月待っても振り込まれることもありませんでした。連絡してみたらやっと振り込まれましたが、まるで小学生の噂話レベルです。
新卒で入社してくる新入社員のレベルが低いのも、こんな私に声をかけたのも自分のいいなりになりそうな人を選んで採用していることもわかっていきました。
社員が仕事をバリバリやられると自分の信者ではなくなることが怖く、自分よりも確実に下と見える人だけを集めるようにしていました。
私は想定外だったらしいです。
こんな奴と一緒に仕事して、貢献しようなどと考え選択した自分の責任ですから受け入れていますが、とにかく騙されたと感じる出会いでした。
「立場が上なのに逃げる奴」は本当に大キライです。
「もっと責任持てよ!おめえはしゃちょ~さまなんだろ~!」って言いたいけど、言えなかった自分はもっと仕方ない奴なのだろうと思います。
自分がくだらない人間だからくだらない人間に寄っていったり、寄ってこられたりするのだろうなと良い人生にするにはもうひと踏ん張りが必要なんだろうと身に沁みました。
読んでいただいた方が後悔のない人生を送れることを祈っています。
第5回「自分が社会に通用するかもと試してみた」/社会不適応の自分が適応してきたこと
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社会不適応の自分が適応してきたことの5回目になります。
「自分が社会に通用するかもと試してみた」です。
これまでも第1回からいろいろ暴露ではなく、吐露してきました。
私のキーワードは
「気にしい・神経質・自意識過剰・人見知り・M気質・消極的・人が苦手」とよくもまあこれだけマイナスを完璧に近く装備できたものですね。
そういえば最近、年齢を重ねたせいか「頑固・わがまま」が出てきているらしく、よく飲みに行く親しい人からも言われます。
このようなマイナスの宝庫で社会不適応な私でも
「挑戦!・チャレンジ!」
というものをしたくなったのです。
これは社会に出て”仕事”というものを経験し少しは成長したのだと思いますが、自分の中で、また、面倒な”こだわり”が残っていたからでもあるのです。
”こだわり”とは高校生の進路を決める頃から考えていた
「自分が本当にやりたいこと、目指したいこと」
を見つけられていないということです。
会社で仕事をしてみて「知識を習得したり」「業務を改善したり」「生産性をよくしたり」「部署を任されたり」など経験しましたが、
「それはお前がやりたいことなのか?」
と自分に問うとやはり違うと自分が答えるのです。また、面倒くさい自分が出てくるのです。
自分がやりたいものをやっと見つけたという訳でもありませんでした。
また、自分はこの会社で一緒に中途入社した年下の女子社員よりも給料が安く、昇給時期でもないのに給与が急に高くなったりしたのでこの会社の社長が嫌いで不信感をもっていました。
辞められると困る状況になってから辞めようと変な動機でがんばっていて、やっとその状況になったタイミングでもありました。
短大の頃に3人でバンド組んで「本気でミュージシャンになろう!」と思ったような、ワクワクするようなこともありませんでした。
(こんな社会不適応な自分がミュージシャンなんて今考えると笑えます)
ただ、1つだけ心にあったのは
「これまでパッ!としない自分の20年程度の人生だったけど、社会では自分は通用するかも?だからもっと社会での自分の実力を試してみたいかも?」
という根拠のない安易な考えでした。
そして、「こんな社長の会社なんかにずっといる訳ないだろう!」と辞めてしまいました。
初めて勤務したこの会社が勤続3年、次の会社も勤続3年弱でした。
このような3年程度で辞める人間は
「仕事を続けられない、職場に飽きやすい、我慢ができないだめな奴」
と私の田舎なら噂されてしまいます。
そして、東京に18歳から出て来て8年程経過して26歳です。いい大人です。た
当時は彼女もできなくて、結婚もできないどうしようもない奴と自分のことを思っていて、もう東京はやめて地元の方に帰ろうと思い立ちました。
結局は逃げるようにも感じたのですが「また、1からはじめればいいか」と考えました。
そして、岩手の実家のある街は仕事があまりないので少しでも近くと思い「仙台」と「盛岡」の地方の小都市の求人誌を毎週取り寄せて、新幹線に乗って面接に行きました。
そこで、自分が17年も勤務することになる東証一部上場企業に採用してもらいました。
自分もその会社に決めたのはこれまでとは業界が全く違うので「上場してるからの理由だけでした。」
田舎の人は上場企業に勤めてると聞くと驚き褒められるのです。だから、親も喜んでくれたり、自慢できるかな?というどうしようもない理由です。
実家に帰ったときに親父は私の入社した会社の株価を新聞で探して見つけられなくて、どこに掲載しているか聞かれたこともありました。
親戚の中では「上場企業に勤めているのは2人しかいないんだぞ」と喜んでくれていました。
「もうこの会社辞められないよ~!辞めても言わなければいいか!」と少しぞ~っとしながら、いつでも逃げることも考えていました。
自分が通用するかどうかの不安はありましたが、やはり、これまでの中小零細企業とは違っていました。
中小企業では資料作成や会議とかなかったので、ビジネスマンになったようで最初は楽しかったのですが、やはり厳しくもありました。
それでも続けられたのは、独裁社長のような不道徳なことがなかったからです。
正しい意見は平社員の意見でも認めてくれて、直属の上司もその上の部長も正しいことは一緒になって動いてくれたことです。
中小企業しか知らないかったので「会社は経営者の独裁的なものだ!」と思っていましたが、このような会社と出会いで「民主的な会社最高!」と感じました。
この会社で長く勤務できたのは
「沈没しない船で大海原に出ていくことができる!」
かのように感じたからです。
自分にできるかできないかわからないことでも「挑戦・チャレンジ」させてくれて失敗しても尊重してくれるし、上司が責任もとってくれる風土で「挑戦・チャレンジ」しなければ怒られる風土でもありました。
厳しかったのですが、納得感がありました。
こんなどうしようもない私でも転職を繰返し、もがいていたら、生きていける場所と出会えたのです。
残念ながら「自分がこの仕事がやりたい!」と最初から志したのではなく、
たまたま出会った職場で「自分が通用するかも?と試して出会った職場」でしたが、それが将来の自分をもっと成長させてくれることにつながりました。
「やはり自ら動くこと、行動することは大切です。」
それで人生が変わったのだろうと思います。
第4回「真面目さだけで仕事を素直にやってみた」/社会不適応の自分が適応してきたこと
社会不適応の自分が適応してきたことの4回目になります。
「元々もっている生真面目さだけで仕事を素直にやってみた」
自分で言うのも何ですが、私は戦後のど真ん中の日本人と思えるほど真面目です。というか生真面目です。
先日読んだホリエモンの本に「生真面目になるな!」と書いてあって、なるほどなるほどと思いながら夢中に読み、自分は会社に骨の髄まで洗脳されて真面目というより生真面目にまでなってしまったのだと思いました。自分のことだな「洗脳された前向きな社畜は」と...
結局、自分にできるのは真面目だけだからと思いそれを自ら徹底して、自ら進んで洗脳されて守られたサラリーマンの世界で生きてきたらしいです。
でも、それしかできなかったしそれを信じていたんです。
それ以外の発想はなかったのです。
「そんなに指摘しないでよホリエモン!、わかったよ!間違ってたよ。でも自分の小さい歴史だけど傷つくからあまり、ズバズバ言わないでよ...」
そのように心がいっぱいいっぱいの気持ちで、なんとか最後まで読み終わりました。
勇気ももらいましたが、傷つきもしました。
M気質だからなのでしょうが、その後にホリエモンの本を立て続けに6冊ほど読みました。だいぶ疲れましたが向き合ってみようと思い読破しました。力をもらえましたがそれがこれからの人生で実践できる自信はありません。
でも、凄い人でした。
ホリエモンさんの話しは置いといて...
初めて「正社員」として入社した小さな会社でのことです。
生真面目な私は「仕事をすること」や「生きる意味」をさんざん悩んでいたため、周りの人も正社員として入社してきたけど、「すぐ辞めるんじゃないか?」と心配されるほどだったようです。
仕事や生きることに悩みはありながらも、会社では「がんばろう!」と思っていて、その悩みが体から滲み出てるとは思いもしませんでした。
そして、ややこしいのが「私の安いプライド」です。
「自分は鳴り物入りで入社した正社員だ!」という勘違いをしていました。
そして、アルバイトのメンバーを心で見下し、アルバイトから仕事を頼まれると嫌な気持ちになっていました。顔に出していないつもりですが出てしまってるのでしょうね。
こんな奴、今ならぶん殴りたいです。
そんなだったので自分はあっという間に会社で勝手に孤独になっていきました。
そして、自分がこんなに孤独になっているのは、
「自分にきちんと教育しない会社が悪い!」
「自分に雑用ばかりやらせるから、仕事も覚えられないじゃないか!」
そんなことばかり考えていました。
でも、その心の叫びに自分の心が共感していないのです。
それは身勝手な発想だと自分の心はわかっていたのです。
それでも、「他人のせい」「会社のせい」にしがみついていました。
それから、数日後にふとんの中に入ったときに降りてきたのです。
「お前は入社したばかりで何の仕事ができるのか?」
「お前が必死にしがみついているのは、いらないプライドだ!」
「商品知識すらないお前が何の仕事ができるのか?」
確かにその通りだと感じ、一緒に働いている人達に申し訳ない気持ちになりました。
今すぐにふとんから飛び起きて謝りにいきたい...と猛省しました。
「心を入れ替えてどんな雑用でもしよう!」
心に決めました。
「どうせ嫌いな仕事をやるなら真っ直ぐに仕事と向き合って何でも受け入れてみよう!」
「どんな嫌いだと感じる仕事も他人が嫌だと思う仕事も素直に受け入れてやってみよう!」
「自分がやったらよりよいものにできるよう真面目にやってみよう!」
「人に何でも頼まれる人になってみよう!」
翌日から私は一緒に仕事をしている周りの人の困ってそうなことは、どんな雑用でも「自分がやりますよ!」と積極的にやりました。
掃除や雑用の仕事ほど進んでやるように心がけました。
すると不思議なものでネガティブに見えていた職場が雑用しかやっていないのに明るく見えてきたのです。
そして、いろいろな仕事を依頼されるようになり、その依頼された仕事を進めていくことが知識や経験を積むことにつながっていきました。
2年後には部署を任されて、社内でも相談されるようになりました。
このようにして、社会不適応の私が
「生真面目さ」「素直さ」
の大切さを知ったのです。
これに気づいた頃はネガティブなことはもう忘れていました。
だから、ホリエモンさんからこのサラリーマン気質の私が信じきっていた「生真面目さ」を否定されると自分の小さな歴史の気づきは「間違ってた!」と思ってしまいます。
それでも自分はこの「生真面目さ」を信じてやってきたので、その底辺レベルでも納得できるので、それで自分はいいのだとちょっと言い聞かせます。
「正しい!間違っている!」とか言うことではなく、それぞれの意見でよいのですよね。きっと、それでいいのです。
元々が社会不適応の私にしては底辺レベルでも適応してきたので「合格」と思い込みます...